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工芸をはぐくむ人と場所

笠間のやきものについて

  
「神楽坂 暮らす。」では、「日本の手仕事」をテーマに、
日本各地さまざまな産地で作られたうつわたちを、ご紹介しています。
 
 
みなさんには、「暮らす。」のうつわたちの出自を知ってもらいたいと思い、
このカテゴリでは、少しずつ、制作現場(産地)や作り手のお話をしていく予定です。
 
今日は、東京からもっとも近い陶郷・笠間(茨城県)の成り立ちと、
その現状についてのお話。
 
 
さて。
 
古代から中世を通して、やきもの作りは愛知県以西が盛んで、
関東地方ではあまり盛んではありませんでした。
 
江戸時代半ば以前の日本では、文化の中心は一貫して畿内だったので、
わざわざ遠い関東で窯業を始める必要などなかったのです。
 
東日本では、やきもの自体を「瀬戸物」と呼んでいるくらいでして、
日本の窯業の中心は、瀬戸と美濃だったわけです。
 
 
ただ江戸時代も半ばになり社会が安定すると、江戸の都市経済は拡大し、
それにつれて、日常雑器などのやきものの需要も急増することになります。
 
そこで、常陸国(茨城県)の箱田村の名主は、古窯・信楽から陶工を招き、
江戸向けに、地元の土を使ったやきものを作り始めました。
 
これが笠間焼の始まり、18世紀のことだそうです。
 
 
その後は笠間藩の庇護を受けて、日常雑器を作る一大産業としての地歩を固め、
明治以降も引き続き、東京の経済成長とともに発展していきます。
 
さらに戦後になると、生活レベルの向上に伴い、芸術性の高い器の需要が増加。
 
このような状況で、若い陶芸家たちが笠間に築窯するようになり、
個性的な作風の作品を生み出すようになっていきました。
 
 
そんな経緯から、現在、笠間焼は「特徴がないのが特徴」だと言われます。
 
釉薬の色や景色で魅せる器もあれば、繊細な絵付けの器もある。
素朴なものもあれば、モダンなものもあるわけで。
 
作家たちが進取性に富み、伝統的な素材や技法に拘泥しないため、
「笠間と言えば、コレ!」という顕著な特徴が見られないのです。
 
それは、裏返してみれば、
ほかの産地に比べて、制作環境が自由だということの証左なのかもしれません。
 
 
現在も、笠間とその近郊にはたくさんの作家が住み、製陶所もあります。
 
毎年ゴールデンウィークには、「陶炎祭(ひまつり)」が開催され、
作り手たちが直接作品を販売する場になっています。
 
 
昨年3月11日の東日本大震災では、笠間は、関東でもっとも激しく揺れ、
深刻な被害を出してしまいました。
 
それでも、去年も今年も「陶炎祭」は開催され、
作り手たちは、復興に向けてその雄姿を見せてくれました。
 
 
現在、「神楽坂 暮らす。」でお取扱いしている笠間の作家は、出町光識さん。
 
さらに秋以降は、
鴨瑞久さん・暁子さんご夫婦の作品も、続々登場する予定です。
 
店主は、これからも、
笠間の作家の動きに注目していきたいと思っています。
 
 
次回・益子につづく
 
 
 
(2012年7月30日)

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